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お子様に教える

教え過ぎてはいけない(教えてはいけない、のではなく)。
これはもう、野球や勉強はじめ、人間社会ほぼ例外なく適っている事だと思います。
確かに、教えて貰う側は教えて頂けるのだから有難いことだ。
何も知らなければ、応用などできるはずがない。まず基礎的な知識は絶対的に入れねばならないのである。
知らなかったことを知ることができる。これは教えて下さる人のおかげ。ここには大変な感謝が必要なのは間違いない。
ただ、これが過剰になるとどうなるか。
そもそも、基礎知識は基礎知識だけ知ればいいなんてものではない。
その知識を実生活、実社会に応用できて、初めて有効になる。知るだけなら全く無意味なのである。
で、応用しようとすれば、自主的に思考力を発揮しないと、応用なんてできるはずはない。
教えられてそれをそのままやるなんて、応用ではないぢゃない。
その応用の仕方まで、1から10まで、いや答えまでバンバン教えてしまう→つまり教え過ぎると…
教わる方は、考えなくなってしまうのであります。思考停止状態に陥るのですね。
だって、答えまで全部教えてくれるのだから、聞いてるだけでいいゆえ考える必要がない。
それどころか、考えて行動に移して、もしその教える人の意図と違う事をしてしまうと、怒られてしまうという事も発生する。
「余計な事をするな!」なんてね。
こうなると、もうまったく悲劇ですわ。教わる方の成長を、教える側が止めてるんだもんねぇ…。
この世の中には過剰に親切な人が結構多く居て、得てして「教えたがり」とか「教え魔」なんて呼ばれる。
無論本人には悪気などさらさらない。それどころか、「私が教えてうまくしてやってる」とか「私はすごく役に立ってる」なんて思ってるような。
で、その教える側の思い通りにうまくならないと「あいつはアカン」なんていう、教えて貰う側にとっては大変理不尽な評価になってしまうのである。
もしかしたら教わる側にしたら、甚だ迷惑、なのかも知れない。
結果は正直である。
思うような結果が出てない場合、教え過ぎを疑ってかかるべきかと思います。
結果を出している強いチームほど、聞こえるのは選手の声ばかりで、指導者は静かに「見守って」いる。
強くないチームほど、指導者の怒鳴り声が目立つのである。
勉強も全く一緒であります。教え過ぎるといけません。見守る。これがいちばんです。
そこの加減がよくわからない?
だから当塾があるのですよ。