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「結果は自分では決められない」

ウチの塾生には、いや、野球の試合の時でも私がよく言う言葉です。

何でもそうですが、やろうとする事の結果は自分では決められません。あえて誰かが決めてるなら、それは「神様」でしょうね。

 

試験や試合を前にして、アガル、とか、緊張する、とか、それで委縮してしまう、力が発揮できない、とか。

すべて自分では決められない「結果」を気にしているのでしょう。

これ、可哀想ですね。

自分で決められない事を気にしてもしょうがないのです。だって自分で結果を操作できますか?

 

だったら、もうヤケのヤンパチ、なるようにしかならんと開き直る?

それもまたなんかねぇ…。

 

そういう時は、

「自分で決められる事を気にして、それを必死にやる」のですね。

だって、その結果が出るまでに「何をするか」「どのようにするか」「いつやるか」

こういうのは自分で決められます。

チビってやるのか、思いっきりやるのか、大胆にやるのか、細心にやるのか、等々。

そして準備の仕方やその方法。

 

自分で決められる事を必死になってやるのです。

そして結果は神様にお任せ、というか、神様にご判断を仰ぐのですね。

「神様、私はここまで必死に考え、ここまでやりました。如何でしょうか⁉」

 

それで良い結果が出たら神様が認めて下さったという事で、悪い結果なら「まだまだ修行が足りん」というご判断だった、という事ですね。

最初から開き直って何もしないで、結果だけ気にする?

そういう人多いけど、それは最初からもう神様のご判断の土台に乗ってませんよ。

 

「人事を尽くして天命を待つ」

野球でも全く同じです。結果が出るまでは最後まで必死になって、粘って粘っていい結果を神様に出して頂けるように粉骨砕身やってみる。そうすると神様もご判断がしやすいのではないでしょうか?